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2007年03月30日

●東京人生SINCE1962 |荒木 経惟

東京人生SINCE1962東京人生SINCE1962
荒木 経惟
バジリコ 刊
発売日 2006-10-13




「写真はフィクションであり、登場する人物はすべて架空のものです」 2007-01-28
まぎれもないなあ、と思う。これくらいまぎれもない人は珍しい。荒木さんの写真はどれを見ても一発で荒木さんだとわかる。ふしぎなもんでさ、漫画家の場合、絵は見れば一発でわかるじゃない、誰の絵だって。写真だとそうはいかないのはどういうわけか。でも、荒木さんの場合、すぐわかる。このまぎれもなさは、どこから生まれるのか? ひとつの答えは「反復」にあるんだろうか、たぶん。「続けるというか、反復なんだよね。反復というか、アタシのは往復というか。だって、ずーっと二、三時間いても飽きないんだよ。信号待ちの群衆たちを、もういっくら撮っても飽きない。『雑踏の中のあなた』とかさ。それから地下鉄に毎日乗って、毎日撮って、よく飽きないでやってるねって。おもしろいんだもん」。大部分の人間は、群衆を見ることに飽きる。飽きて飽きてしょうがない。群衆というひとつの塊として見ているからだろう。荒木さんは、あくまでも、それを個々の人間がたまたま集まった状態として見るのではないか。するとそこに含まれる変化の可能性は驚くべきもので、一つ一つの顔が「顔」としての存在を取り戻す。そんな個別性の感覚、そして一期一会の感覚が、荒木さんの写真をつらぬいているように思う。たとえば笠智衆を撮って、こう書き加える人だ。「極上の笑顔。『こんにちは』と『さようなら』を同時に撮る。」すべてのものにこんにちは。すべてのものにさようなら。そのつど、そのつど。ご自分の父上母上の遺骸の写真をここに含めざるをえない、そういう人だ。荒木さんと個人的につきあいがあるわけではないが、荒木さんが将来亡くなったとき、ぼくは泣くだろうな。これもまたすごい本です。


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